水郷蟹江の祭「須成祭」編

蟹江町夏の大祭「須成祭」の由緒や各種祭事の内容を紹介しています。

夏六の祭典:須成祭

蟹江町最北部、須成地区に約400年前から伝わる「須成祭」の起源は、地元の言い伝えによれば、その昔、この地方の若者が芋の葉をかぶって、深夜須成から海を渡り、津島神社の御神葭様をお迎えしたことに始まるとされるが、祭起源については定かではありません。中世以降、この地にあった冨吉荘の総鎮守として冨吉建速神社(冨吉牛頭天王社)・八剱社の祭礼は須成地域周辺で執り行われてきたようです。織田信長、豊臣秀吉及び尾張藩政下の歴代藩主も尊崇し、保護してきたようです。天文17年、織田信長が社殿修復の際、「夏六の祭典退転これなき様に致すべく」と戒めているのもそのあらわれです。

江戸時代、尾張藩が宝暦5年に藩内の祭礼を記録した『尾陽村々祭礼集』には「冨吉天王之祭、船祭一輌、打囃子試楽有、村下橋より天王橋迄渡」と記されて現在と同様の祭の形態がうかがわれ、『尾張名所図会・付録』である『小治田之真清水』には須成祭の絵図が掲載されて、大勢の観衆とともに船祭、神葭流しの様子が描かれています。以来祭典は年中行儀として年々執行されてきた由緒が古く、長い伝統をもつ祭事です。なお、宵祭、朝祭は旧暦の6月17日・18日に執り行われてきましたが、昭和40年代に新暦に改められ、8月第1土曜日が宵祭、翌日の日曜日に朝祭が行われるようになり、現在に至っています。

水郷地帯にふさわしく、葭刈、船からみ、宵祭、朝祭など一連の祭事は川祭りの「車楽行事」と「神葭流し行事」を中心に構成され、夏病み防止と五穀の豊穣を祈念し、国土の安穏をよろこぶ典型的な祭で、朝祭などで天王囃子を奏することなど天王祭りの特色が顕著にみられる祭りです。6月から10月までの約100日間かけて数々の神事が執り行われることから別名「須成100日祭」とも云われています。その中でも、8月第1土曜日の宵祭では、提灯をつけた巻藁船が、朝祭では高砂人形を乗せた車楽船が船内で祭囃子を奏でながら地区内の飾橋から御葭橋(跳ね橋)を経て天王橋に至る光景は特に優雅な川祭の風情を楽しめます。

国重要無形民俗文化財に指定 ユネスコ無形文化遺産に記載登録

2012年3月、須成祭一連の祭事は、「須成祭の車楽船行事と神葭流し」として国重要無形民俗文化財の指定を受けました。現在、須成祭は、文化庁がユネスコに推薦した日本文化を代表する「山、鉾、屋台行事」33件の一つとして無形文化遺産に登録提案されました。2016年12月1日(現地11月30日)エチオピアのアジスアベバで開催されたユネスコ無形文化遺産保護条約第11回政府間委員会の会議において「人類の無形文化遺産の代表的一覧表」への記載が決議された由緒ある夏祭です。

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山・鉾・屋台行事のユネスコ無形文化遺産登録に向けた再提案について
文化庁2015.3.5報道発表資料.pdf
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山・鉾・屋台行事のユネスコ無形文化遺産登録についての勧告について
文化庁2016.10.31報道発表資料.pdf
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山・鉾・屋台行事のユネスコ無形文化遺産代表的一覧表への記載決議について
文化庁2016.12.1報道発表資料.pdf
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須成祭事の概要

写真は宵祭当日、宿となる須成区公民館で執り行われる「宿囃子」です。須成祭は、疫病退散を祈願する天王信仰に由来する祭行事で、華やかな車楽船行事と1年の穢れを植物の葭に託して川に流す神葭流しの二つの行事を中心に構成される祭で、諸行事は、朝祭の期日を基準としてその前後に日程が決められます。祭りの運営は、祭三役と呼ばれる祭行事を取り仕切る祭総代2名と宿大将1名の年長者に、成人式を終えた若衆が加わって行われます。若衆には指導役の桜花、桜次、車楽船の行事を仕切る車大将、船の屋根に乗る山乗衆、神葭を担当する葭刈衆などの役があります。これらの諸役によって行事は7月上旬から10月下旬までの約100日の間に順次執り行われていきます。

車楽船行事

写真は「宿入り」式の模様です。車楽船行事は、船を乗る稚児を決める「稚児定め」に始まり、天候の無事を祈って三重県桑名市の多度大社に参拝する「多度詣り」、祭の宿となる公民館に稚児と諸役が一同に会し、祭りの開始の挨拶を行う「宿入り」、船に付ける飾り花を製作する「花つけ」、船を組み立てる「船がらみ」、宿で囃子を練習し、その打ち上げの「稽古上げ」を経て、宵祭を迎えます。

宵祭当日は、午後から船に乗り込む男性たちが白衣で蟹江川で禊を打った(現在はシャワーにて執り行います)後、蟹江川堤防上から多度大社の方向に向かって拝礼し、その後神社へと参拝を行います。その後「天王詣り」と称して、衣装を着けた稚児と親役、諸役一同が行列を組んで神社に参拝します。一同は参拝を済ませると地区内にある龍照院(真言宗)、松秀寺(曹洞宗)、善敬寺(浄土真宗)に赴いて「寺参り」を行います。

夜になると、宿である公民館内で囃子を一曲奏でた後、稚児と諸役は蟹江川堤防(左岸)を下流方向にある飾り橋まで行列し、橋北に停泊する祭船(巻藁船)に乗り込み宵祭が始まります。この船は二艘の船を平行に並べて板を渡し、その上に二階造の屋形と三層構造の屋台を据え置く形態をとっています。写真のように巻藁船は屋根上の真柱に1年の月数をあらわす12個(閏年は13個)の提灯が縦一列に並び、その周囲には1年の日数365個(閏年は366個)の提灯が半球状に飾り付けられます。船前方には1カ月をあらわす30個の赤いほうずき提灯が下げられます。船は、灯火を揺らしながら船内で祭囃子を奏でながら蟹江川上流方向に上り、宿前の御葭橋を通過していきます。

須成神社横の天王橋に到着すると山乗が「ほうずき提灯」を外して、餅を中に仕込み橋上の観衆目掛けて投げます。これは無病息災の縁起物として橋周辺は多くの観衆が求めて賑わいます。この行事が終わる午後9時30分頃に宵祭は終了します。戦後暫くは午前0時近くまで、以降数年前までは、午後10時まで宵祭が執り行われていましたが、地元警察署からの強い要求もあり、現在祭行事は約30分短縮されています。宵祭終了後、午前0時から「山起こし」と称して船の模様替えを行います。すべての提灯道具などを船から下ろし、伊弉諾尊・伊弉册尊の人形と紅白の梅花・桜花と呼ばれる飾り花、幕類などで日の出前までに飾り付けを新たに行います。

翌日執り行われる朝祭は、再び飾橋から船に一行が乗り込み天王橋に向かって出発します。装いを新たにした車楽船は囃子を奏でながら蟹江川上流へと進みます。天王川橋に到着すると、稚児を始め諸役は下船して神社へと向かいます。神社の拝殿内で囃子を一曲奉納します。その間、船では、残った山乗役により「投げ花」と言って、船を飾る花(桜花、梅花)の枝を折って観衆に投げ与えます。飾り花は雷除けや良縁に恵まれると云われて、観衆は競って奪い合い、家に持ち帰って床の間などに1年供えおくようです。やがて神社から戻った稚児・諸役一行が再び乗船し、御葭橋まで船が帰ったところで下船して朝祭行事は終了します。

神葭流し行事

神葭流し行事は、宵祭までに「葭刈準備」「葭刈」「葭揃え」が行われます。「葭刈準備」はちまき作りと葭を刈り取る用具の準備を行い、翌日に「葭刈」が執り行われます。神社を葭刈衆6名が小船に乗船し、蟹江川下流の弥富市亀ヶ地地区へ行き、御神体となる神葭の材料を刈り取ってきます。

亀ヶ地までは蟹江川両岸に待ち構えている人達に夏病み予防の縁起物「ちまき」を投げ与えます。一行は亀ヶ地地区の役員宅に出かけ挨拶を行った後に再び乗船し、日光川右岸にある葭刈場へと向かい葭を刈り取ります。この後、蟹江川と日光川合流地点の川合小橋下で昼食(鳥の子)を摂って、地元須成へと帰ります。

「葭揃え」では、刈り取ってきた葭を切り揃えて大きな葭の束を4本作り、神饌とともに祭文殿に供えます。この葭束を「御神葭様」といいます。その後朝祭の翌早朝に「神葭流し」が執り行われます。午前5時過ぎに祭三役と葭刈衆が社殿から蟹江川まで葭束を運びだし、写真のように舟の上で葭束を十文字に組み、その中心に1年間の災厄を託した御束を差し立て川に浮かべます。かつては真夜中に執り行われ、葭の流れ着いた地域が疫病退散を祈願して、葭を厳粛に祀ってきましたが、現在は川の中に立てた笹竹の間に納め置かれます。

神葭は、この7日後の「棚上り」行事により引き上げられ、写真のように神社境内に設けられた棚に遷され、灯明や供え物をあげて祀ります。これ以後「御神葭様詣り」といって75日間須成地区の人達が班単位に期間を割り振って毎日参拝します。

75日後には「棚下し」が行われ、御神葭様を棚から下ろして境内で燃やし、約100日間、長きにわたる須成祭の行事は全て終了します。須成祭祭事を構成する神葭流し行事は、雅やかな車楽船行事とは異なり素朴で質素な行事ですが、これら一連の行事は全て国重要無形民俗文化財の指定を受けています。

須成祭諸行事の見物記録Ⅰ(blog版)

水郷楽人の須成祭見物の記録です。画像をクリックしていただくとblog記事へとジャンプします。各祭事の様子が、より詳しく見ることができると思います。

2006年 神葭流し

朝祭の翌日、拝殿に御神体として飾り付けられていた御神葭は、若衆によって運ばれ、小船で蟹江川に係留されます。かつては「御神葭流し」として放流され、漂着した流域で祀られました。現在は、係留された御神葭様は一週間後に岸に引き上げ、神社境内の「神葭棚」へ安置され、その後10月下旬まで御神葭様として奉納されます。

2007年 須成宵祭

須成宵祭です。写真は、宵祭の最初の祭事「みそぎ」を終えた祭船に乗船する祭衆が、蟹江川堤防から多度大社方向に向かって、祭両日に雨が降らないように参拝するものです。2007年宵祭の様子を紹介しました。

2007年 須成朝祭

同じく朝祭です。祭船を下船した祭衆は、天王橋を渡り神社拝殿へと入ります。拝殿内で天王囃子を一曲奏でます。写真は2007年の朝祭です。

2009年 葭刈

須成祭葭刈神事です。朝祭の一週間前に執り行われる神事で、早朝、天王橋の川上から若衆が小舟に乗り込み、堤防沿いに夏病み防止の縁起物「ちまき」を撒きながら弥富市十四山地区まで蟹江川を下ります、その後、蟹江町内鍋蓋新田の日光川右岸堤で神事を行った後、祭り期間中の御神体となる葭を刈り、神社まで引き返すものです。

2010年 須成宵祭

宵祭当日の須成神社・龍照院境内の様子です。境内には露店も多く出店しとても賑わっています。祭気分が盛り上がる場面でもあります。

2012年 葭刈

2012年は弥富市の旧十四山村亀ヶ地地区まで出かけ葭刈神事の模様を撮影してきました。

2012年 須成宵祭・朝祭

須成宵祭です。写真は提灯に飾られた巻藁船、2012年宵祭と朝祭の様子です。

2013年 須成宵祭・朝祭

須成朝祭です。宵祭が終了した真夜中に祭船は巻藁船から車楽船へと飾り付けが変化します。午前9時過ぎに飾橋を出発、御葭橋を通過して神社に隣接する天王橋まで向かいます。2013年の宵祭・朝祭の様子です。

2015年 須成宵祭・朝祭・神葭流し

2015年は宵祭・朝祭、そして神葭流しを見物してきました。神葭流しは、ほぼ9年ぶりの見物でした。優雅な車楽船行事の宵祭・朝祭も素敵ですが、質素で素朴な神葭流しも魅力的でした。

2016年 葭刈

2016年7月31日の早朝に須成神社周辺へと出かけ葭刈の行事を見物してきました。晴天の中の葭刈行事、多くの見物客で賑わっていました。今回からスマホでビデオ撮影も行いました。

2016年 須成宵祭

2016年も宵祭・朝祭見物に出かけました。但し、宵祭は来賓の案内役、朝祭は地元CATVの祭中継解説員を仰せつかったこともあり、充分には祭見物を堪能できる場面が少なかったです。スマホを使った写真と映像で祭記録をカバーしました。

2017年 須成宵祭・朝祭

2017年も宵祭と朝祭を見物しました。前年同様宵祭は来賓の接待役を務めた関係であまり詳しくは見物できませんでしたが、朝祭は用事もなく最初から最後まで見物することが出来ました。画像は朝祭、車楽船が神社横の天王橋に到着、祭役衆が神社に出向いている間に行われる「投げ花」行事の模様です。縁起物なので、見物の方々が競って投げ花を受けようとしているところです。

2018年 須成宵祭・朝祭

2018年朝祭、梅花・桜花で飾り付けられ諾冊二尊を安置した車楽船が須成神社横の天王橋に到着した様子です。橋には多くの方が船を出迎えていました。この後、祭乗船一行は下船して神社拝殿へと天王囃子を奏楽するために向かいます。

須成祭諸行事の見物記録Ⅱ(YouTube版)

2016年からはスマホを使って短編ですが映像撮影を行っています。映像の精度は今一つ状態ですが、よろしければご覧くださいね。YouTubeは映像再生が終了すると次に関係の無い他人の方がアップした映像が出てくる場合があります。これには関心を持たずにスルーしてください。祭映像を再度見たいときはPCは左下、スマホは中央下の「もう一度見る」マークをクリックしてください。一番最後は蟹江町が制作した映像で、須成祭全体の様子が詳しく紹介されています。こちらは1時間超えの長編映像ですが、よろしければご覧ください。

2016年 葭刈Ⅰ

2016年 葭刈Ⅱ

2016年 宵祭稚児行列

2016年 宵祭神子太鼓(須成鼓笛保存会)

2016年 宵祭宿囃子

2016年 宵祭巻藁船Ⅰ

2016年 宵祭巻藁船Ⅱ

2016年 宵祭巻藁船Ⅲ

2016年 宵祭巻藁船Ⅳ

2017年 葭刈

2017年 須成宵祭宿囃子

2017年 須成宵祭「御葭橋」

2017年 須成宵祭「打ち上げ花火」

2017年 須成朝祭「飾橋出船」

2017年 須成朝祭「御葭橋」可動

2017年 須成朝祭「御葭橋」通過

2017年 須成朝祭須成鼓笛保存会「神子太鼓」奉納

蟹江町制作映像 須成祭《本編》