蟹江町大字須成地区には小字名で「刎畑」という地名が残されています。これは、この地方でも残り少なくなった「島畑」が点在していることから名付けられたものです。blog開設以来、蟹江町大字須成字北刎畑地区に点在する島畑の定点観察を行ってきました。2015年11月から2017年2月までの約1年間、島畑を1面お借りして栽培に挑戦してみました。
島畑とは尾張平野(濃尾平野の尾張側一帯)に広がる田圃に囲まれ点在する畑のことを言います。別名「刎畑」とも言われています。元々は木曽川デルタ地帯に属する川の氾濫時の際に運ばれた大量の土砂を一ヵ所に寄せ集めたり、用水路の土浚えの際に生じた余剰な土砂を盛り上げて造成されたものです。島畑は中世・近世の時代から今日まで、永らく尾張平野一帯の田園風景として各地で見られるごくごく平凡な景観でしたが、耕地整理、都市整備が進むにつれ、都市部周辺から姿を消していきました。
今残るのは、一宮丹陽、三ツ井地区、あま市花長(旧海部郡美和町)、沖ノ島・遠島(旧海部郡七宝町)、海部郡蟹江町須成、名古屋市中川区旧富田町などです。現在、全国的にも愛知県一宮市~海部郡周辺と京都府城陽市に残された景観だと言われています。近頃、山間部に切り開かれた「棚田」が歴史的農業景観として、また国土保全の観点から保護が必要と保存のための取り組みが行われていますが、「島畑」は平野部の都市部周辺に多く点在し、利用価値も高いため、耕地整理や商業開発など都市化の進行などによって今後消滅する可能性が高い歴史的農業景観でもあります。
2005年から島畑周辺の観察を行いblog版で紹介してきました。春夏秋冬の島畑、代表的なblog記事をリンクさせてあります。関心があれば画像をクリックの上、ご覧ください。
春の島畑です。冬の間枯草に覆われていた農道や畦道が少し緑がかって来ています。土筆なども生えて、散歩をされている方が摘み取っている風景なども見られます。
初夏の島畑です。5月中旬になると田圃に水が入り、いよいよ田植えの準備が始まります。この時期が、名前どおり一番島畑らしい風景が拡がっているような気がします。
夏の島畑です。田植え後約一カ月半ほどが経過しました。田圃には水草が生えて来ています。島畑では背丈の高いトマトやキュウリなど夏野菜が栽培されて立体的に感じる時期です。一面緑の絨毯と言った感じの風景です。
秋の島畑です。10月に入ると島畑周辺は黄金色の絨毯に一変します。稲穂が重く垂れて豊作の予感、島畑の方も背丈の低い秋冬野菜が中心に栽培されています。
初冬の島畑です。稲刈が済んで周辺の田圃には何も無くなりました。この後、年末にかけて田圃にはトラクターが入り、寒起こしが行われます。冬の冷たく乾燥した伊吹颪を利用し、病害虫を退治するという先人から受け継いだ知恵を使ったものです。島畑ではキャベツやブロッコリー、大根などの秋冬野菜が収穫時期となっていました。
冬の島畑です。名古屋都心の近くですが、厳しい寒波が尾張平野に押し寄せると、時折大雪になる場合があり、島畑周辺も一面の銀世界が拡がります。立ち入る人も無く、実に静かな雰囲気に覆われる時期でもあります。
島畑の模様を定点観測してきた記録を総集編「島畑物語」としてblog版で公開中です。2005年から2016年2月までの観察記録を収録しています。
2015年からはこちらのblog版で観察記録を紹介しています。2015年11月から2017年2月まで、島畑を一枚お借りして栽培に挑戦しました。新島畑物語の様子は、こちらの方をご覧くださいね。